シン・委託 夏コミ告知
おはようございます。
もうコミケ1日目です!
前置きはなしで夏コミの宣伝します!
今回は
3日目(8月14日)
西o-33a「Digital Logics」様
西c-33a「arkriot」様
に委託させていただいております!
僕も会場にいますので、見かけたらモンスターボール投げ、声かけてください!
今回はサークル名を変え「Hypertext」としてオリジナル音楽CDを出します。
※なお実際の商品とは画像が異なります。(ロゴが違うのよ!)
視聴(全7曲中1曲)はこちら↓(BOOTHに飛びます)
全7曲(ゲスト2曲含)+2Pジャケットで¥1,000(会場価格)です。
紙の本に慣れた人からするとちょっと手が出にくいかもしれませんが、いつまでも耳に残る叙情詩的オリジナルのアンビエント中心で、実際損はさせません。
あとはBOOTH(↑)の商品ページで詳細ご確認ください!
では3日目に会場で(商品と)お会いしましょう!
この本がなければ僕は生まれていなかったかもしれない本。柴田翔「されどわれらが日々―」
最近よく思うのは、今って60年代みたいだよね、ということ。
その正否はおいといて、今って60年代だよね、と思うことが多い。学生デモはあったし、コンクリート・レボルティオも2期やるし、一周回ってゴレンジャーの造形がめっちゃ格好いいと感じるし、ビートルズが復活するかどうかはおいといて、なんやかんや60年代がリバイバルしてる感じがあるね、ということ。
※ゴレンジャーは70年代の作品です。
それ以上にぼくが60年代に惹かれるのは、今20代の若者がおかれている状況が、60年代の閉塞にそっくりじゃないかと感じるからだ。あの頃とはまた別のベクトルで若者の多くはたいへんに衆愚化されてしまっているのはたいそう嘆かわしいことである。
柴田翔の「されどわれらが日々―」を母親が購入したので、読んだ。
そうなのだ。私の幸や不幸は問題ではない。節子の幸や不幸は問題ではない。人は生きたということに満足すべきなのだ。人は、自分の世代から抜け出ようと試みることさえできるのだから。
節子のそれが成功するかどうか、それは判らない。節子はあまりに感じやすく、あまりに生を愛しすぎる。が、成否の如何にかかわらず、私は、いや私たちは、そういう節子をもったことを、私たちの誇りとするだろう。
やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかも知れない、あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じような困難があった。もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれども、困難があるという点では同じだった。そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと。そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、そういうことが昔もあった以上、今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら、そこまで老いて行った私たちの生にも、それなりの意味があったと言えるのかも知れない。(p217-218)
1964年に出版され、昭和39年の芥川賞を受賞した作品。
学生運動後の若者を描いた青春群像劇が、まさに今の(苦境に立たされる)若者が読んで共感できる(とくに前半の佐野の手紙とかな!)ので、やはりぼくの肌感覚の60年代リバイバルは正しいのだと信じさせてくれた。
いや、そのへん個人の感覚だし、今「見えない何か」と闘っていない人にはおそらくこの感覚はないだろうけど。
話は変わるけど、なぜ母親がこの本を買ったのか。
当時、母の高校の教師がこの本を「われらが世代の書」的に紹介してくれたそうだ。中大卒の、たいへん面白く人気のある先生だったらしく、母親もその影響でこの本を読んだ。そして数年経ち、母は18歳離れた父と会うのだが、父もまた中央大学の法学部卒であり、その先生と同じ大学であることが歳の差を乗り越えるきっかけとなったのである。つまり、この本がなければぼくが生まれることもなかった。あー、だから60年代に親近感があるのかもしれませんな。
最後に、とても有意義な読書だったことを記しつつ、父親が教えてくれたあの頃の三大タイトル「されどわれらが日々―」「パルタイ」あと一冊が何だったのか思い出せないことも付記しておきます。いや、父にもう一度訊いて来ればいいんだけども。
ではまた。
桜の季節だし、とりあえず歳時記は一冊買っておこうぜ。
特に加工もしてないけど桜の写真を撮ったので久しぶりにブログ更新したよ!
見てくれよな!
一枚目の写真は池の桜を俯瞰で撮影したものです。
ロケ地は伊勢神宮と並んで近隣50mに住む人なら誰もが知る有名な神社、石刀神社。参道から境内までズーンと続く立派な桜並木がありますが縁日がでるわけでもなく人も多くないのがまさに穴場ですね。そんな経営マインドで大丈夫か。
どうでもいいけどこの周りの家は庭に桜の木を植えているところが多いです。
「自宅の庭にある桜の木」を意味する日本語もちゃんとあって「家桜」といい、俳句の季語ですが実際のところ家の敷地に桜を植えてる人でなければ使えない季語なのでレアです。
幹太く大いなるかな家桜 高浜虚子
この記事を読んでる人々には空気に酸素が含まれているくらいの常識ですが、二枚目の写真のように桜の季節の曇りがちな空のことは「養花天」。もうすぐ花が散って川に流れる様子は「花筏」です。読み方?反転して右クリックしてググれば出るで。
こういう、文字にすると心惹かれ口に出すと煙たがられる単語がやたらめったらいっぱい載っているのが歳時記です。字書きを目指す人はとりあえず一冊、なんでもいいので買ってみて、みなさんもこの春から腐れ文化人デビューしましょう!
いちばんわかりやすい 俳句歳時記―現代の生活に即した四季折々の新旧七千季語を収録
- 作者: 辻桃子,安部元気
- 出版社/メーカー: 主婦の友社
- 発売日: 2012/02/02
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 3人 クリック: 3回
- この商品を含むブログを見る