編集者と2人3脚って聞こえはいいけど…
上記の記事を面白く読ませていただきました。
僕自身、実際に振り回されて疲弊した経験があるので編集者の立場にある人間を擁護しません。
編集に限りませんが、こういう人に振り回されるとたまったもんじゃないですよね。
実は6時間かけて超長文のゲーム業界の黒い話を書いていたのですが、
「僕はきれいなジャイアンになるんだ!」と全部ボツにしました。すべて架空のキチガイのせいだ。
閑話休題。
漫画の世界でも編集者に勝手にセリフを変えられるとかあるみたいですが、あらゆる創作の現場にトラブルはつきものじゃないかなと思っています。
僕の話をしますと、
あるゲーム制作において強烈に許せなかったことが2つあります。
1つは黒髪ロングのヒロインを無理やりショートヘアに変更させられたこと。
黒髪ロング原理主義者を敵に回すとどうなるか貴様に教えてやろう。
もう1つは、主人公の名前を吐き気がするほどダサい名前に変えられたこと。
さすがにこのときは自死を覚悟しました。
双方に共通することは、作者の許可なくディレクターが勝手にやったということです。ふぁっく。
(※すべてフィクションです)
ですが、そういうことを怒っているのではなく……
そもそもダメなディレクター(DD)というのはもっと根本的なところで間違っています。
「俺に理解できないものは許さない。読者の感覚もきっとそうだ」
その『感覚』が大量の映画やドラマ、小説・漫画を吸収した上で作られたものなら文句はありませんが、DDの特徴として、とにかく引き出しが狭い。
冒頭記事の言葉を借りるなら「守備範囲が狭過ぎる!」です。
逆に人間性にいささか問題があっても、自分の創作を信じて押し上げてくれる、高めてくれるディレクターなら、クリエイティブライフに問題はないんじゃないかなって思います。かな、です。保証はありません。(やっぱり疲弊はすると思いますが……)
というわけで。
ダメと呼ばれないためにもディレクターになったからには、日ごろから映画・ドラマ・小説・漫画を鑑賞、研究して守備範囲を広げていってほしいです。
対してクリエイターは日ごろから功徳を果たし、良いディレクターと仕事ができるように祈りましょう。
誰か、ボツになった僕の6時間を返してください。